隔離生活中の心境を吐き出す(1週間目)
備蓄は関係ない、暇なので心の中をぶちまけたいと思う
先日の手術の検査結果がそろそろ出るころだ。
今週か、来週あたりだろう。手術をしてもらったのは片道数時間かかる大きな病院で、抜糸がてら検査結果を聞きに行くのは近所の小規模な病院だ。
病院には行きたくないけれど、検査結果はどうしても病院に行かないと教えてもらえないらしい。。。
それだけで、すでに憂鬱
結果を聞くまでに日にちがあるのも、憂鬱だ
実はこのウイルス騒動が起きる前、手術をすることが決まってからかなり塞ぎ込んでいた
体に症状があるわけではなく、精神的なものだ
食欲もなくなり少し痩せたし、常に情緒不安定だった
手術を決めた日の帰り道に、子どもの頃一度だけ母と行ったことのある喫茶店へ車を停めた
珈琲とうすっぺらいサンドイッチを食べながらこらえきれず嗚咽した
いくつも絵画が飾ってある広い店内は思っていたより明るすぎて、店のマスターは想像していた雰囲気とは全然違っていた
腹も減ってないのにやけに高いサンドイッチを頼んでしまったことを後悔し、ずいぶん昔の母との思い出にすがって、自分はいったいここでなにがしたかったんだろうと馬鹿らしくなった
必死に周りに気付かれないようにしても止まらない涙と鼻水と、カウンターで笑いながら話している常連客の声と、なにもかもに嫌気がさした
特に夜になると自分でもわかるくらいかなり不安定になってしまい、家族の前で平静を装うのが本当に辛かった
子どもたちを不安にさせたくないし、家族に毎日毎日弱音を吐くわけにはいかない
どうすることもできない他人の弱音を聞くのは苦しい、それを自分は十分に知っている
自宅にいるのは辛すぎて、家族が寝静まるとひとりでドライブに出かけることが増えた
夜景の見えるところまで行ってみたり、海の近くへ行ってみたり。車を走らせる気力もなくてがらんとした駐車場にただ車を停めることもあった
マックで熱々のコーヒーを買って、車の中でひとりぼーっとそれを飲む
自動販売機で買ってもいいのに、わざわざマックまで行っていたのは、誰か知らない人に会いたかったからだと思う
自分が不安そうにしていると相手に心配をかけてしまう、その時はそれがなにより嫌だった
だから家族にも、実家の母や妹も、友人や先輩にももうなにも話したくなかった
正直なところ、自分がかわいそうだと思われるのも心底嫌だった
でも、知らない人になら、今苦しんでいることを全て話せるかもしれない
自分のことを全く知らないどこかの誰かに助けてほしい、そう思って相談できるところを探した
こころの健康相談統一ダイヤル?いのちの電話?よりそいホットライン?
どれも名前ばかりで、いつかけても何時にかけても、何十回かけても一度もつながることは無くて絶望した
本当に実在しているのかさえわからない
他の相談窓口も、平日の17時とか18時まで、なんてところばっかりだった
こっちが辛いのは夜なのに。仕事も家のことも全部すませて、やっと自分を助けてほしいと思えるのは夜なのに、18時以降だからってバッサリ助けてもらえないとはどういうことなんだと悲しくなった
全てに拒絶されたようで、自分がみじめで情けなくて辛かった
ほんの少し死にたくなったんだけど、死んでしまうかもしれないことが辛いのに、辛すぎて死にたいと考えてしまうなんて、人間っておかしな生き物だと思った
知っている人は知っているだろう、坂口恭平さんに電話をかけた日もあった
軽い声で普通に電話に出てくれた。まるで友達に電話をかけたみたいに。そして昔からの知り合いのように、軽やかに話をしてくれた
はいはーい、どうしたの?死にたいって声じゃなさそうだね!
坂口さんは子どもの頃の話とか、体の話とか、他愛もないことを色々話してくれた。それだけでみじめな自分を受け入れてもらえたような気がして、なにも解決はしないけど、少しすっきりした
自分がつぶれてしまいそうだったあの時、電話に出てくれたのは坂口さんだけだ。きっと自分と同じように、毎日多くの人が彼に救われている
そうこうしているうちにこのウイルス騒動が始まったのだ
家族を守ることに精一杯になり、環境もがらりと変わった。塞ぎ込んでいる暇なんてなくなり生きることだけを考え暮らしてきて、気付けば3ヶ月が経っている
その間に手術の日も決まり、あっさり手術を終えるとすぐに退院、とうとう結果を聞く日がやってくる
術後うつとやらに近い精神状態もあるのかもしれない。術後の体の痛みで不便に感じていることも多い
退院後の隔離生活も欝々とした気分の原因になっていそうだ
そもそも、今はこの騒動で日々かなりの不安と恐怖を感じて暮らしているわけだから、ストレスの許容量を大幅にオーバーしてしまったんだと思う
ここ数日、SNSを見るのもなんとなく苦痛だった
飲食店を筆頭に次々といろんな店が営業を自粛しはじめた。自分たちの地域には関係ないとのたまっていた経営者の友人達も、もう営業している店の方が少ないくらいだ。
今やこんな田舎でさえ、営業している店は悪いやつだといわんばかりの流れができはじめている。
飲食関係の店は営業を自粛すると軒並みテイクアウトや弁当を宣伝しているが、果たして需要がどれだけあるんだろうと考えると辛いものがある。
全ての店が弁当を作っても、買う人は少ない。これまではたまのランチや、友人と酒を飲みながらわいわい、家族で楽しくディナーと、その日の行動や店内での雰囲気含め楽しんでいた。
お弁当やテイクアウトとなるとちょっと違う。たとえお義理で買ってもせいぜい週に数回、つぶれてほしくはないが仕事のない今、毎日毎日それなりの値段の弁当を買うのは難しい。
仕事のある人達だって、いつ自分の職場で感染者が出るのかとみんな不安に違いない。
もちろん飲食店だけじゃない。自粛自粛、感染予防、ジャンル問わずにどんどん店が閉まっていく。嘆く友人も不満を爆発させる友人もじわじわ増えてきた。
もう色々、苦しいのだ。
今は、ただただ時間が過ぎるのを待つしかない。
手術の傷が少しづつ治癒し痛みが消えたら
手術の結果を聞いて、どちらにせよ悩みの数が減ったら
隔離生活が終わって家族を抱き締めることができたら
資金にせよ対策にせよなにかが行き届き、友人達も当面困らずにすむようになったら
その時になれば少しでも気分が晴れるんじゃないか、と感じてる
今はいろいろ重なりすぎてるんだ、ただそれだけだよ、と
そう、自分に言い聞かせている
気持ちが沈んで体までどうにかなってしまいそうなときは、坂口さんの曲を聞くと心が澄む
眠れない夜は坂口さんの本を読むと、心ほぐされとろんと気持ちよく眠れる
今は、とにかく待つだけだ